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【住職の言葉】罪人は誰か(9/10の朝礼にて)

町屋光明寺 住職の言葉

先日ネットでニュースを見ていると、気にかかる話題が目に飛び込んで来ました。

「280万円入り財布を清掃員が横領 JR山手線に置き忘れ」

小学生の頃、私が友だちと公園で遊んでいると、
足下に100円玉が落ちているのに気付きました。
近くの交番に届けると、おまわりさんはご褒美に飴玉をくれました。

子供にとって100円は大金です。チロルチョコなら10個も食べられます。
それでもお金を拾ったら交番に届けるよう教えられて育ったので、そうしたのです。
自分の欲求に打ち勝ち、教えられた通りにすると、思いもせずあめ玉をゲットできたのでした。

正しい教えに従うと、より良い対価が得られると子供ながらに感じた経験でした。

さて、財布を拾った清掃員は、財布の中身が1,000円であったなら、
逮捕の危険を冒してまでネコババしなかったかもしれません。

もっと言えば、拾った財布にたまたま大金が入っていたのが、
運の尽きだったとも言えます。

この清掃員は大金の入った財布が忘れられていなければ、
一生を気の良いおじさんとして過ごせたかもしれないのです。

そう考えると、盗んだ者に罪があるのか、
うっかり財布を忘れて、結果として盗ませた者に罪があるのか、
何が正しいのか分からなくなります。

仏教では、一つの事象にこだわって善悪を判断することこそが罪であると説いています。
そうなるとこの事件だけを見て、この清掃員が悪人であると
決めつけている我々こそが、一番の罪を犯しているのかもしれないとも思えるのです。

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